2月のみことば 宗教科 阿部光喜
自分に役立つものにしか興味がないというのでは、自分がだんだん小さくなってしまいます。反対に自分を周囲に役立たせていくことに心を向ける人は必ず向上するでしょう。 『そよ風のように生きる』旅ゆくあなたへ~より
2月のみことばと意向
「助け合う」
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助けるものを創ろう。」
(創世記 第2章18節)
・「自分と異なる様々な考えに心を開き、柔軟な姿勢で生きること」ができますように
(「18歳のわたくし」より)
・新型ウイルス感染症や各地で相次ぐ災害の影響で、不安や悲しみのなかにいる全ての方々のために、自らが平和の道具となり、行動することができますように。
・相手を尊び、まことの愛を持ってお互いを助け合い、共に成長することができますように
この一年間で、どんな「みことば」があなたの心に響きましたか。
私はみなさんと4月に約束をしました。覚えていますか。それは、みことばが単なる説明で終わるのではなく、皆さんの生活の中であなた自身が苦しんでいるとき、どうしてよいのか迷ったとき「みことば」が支えになってくれることを祈り、皆さんの目線にたってお伝えしますと、毎月書いてきたつもりでしたが、どうでしょうか。今月の「みことば」はまさしく一年間のまとめとして意義深いものとなることでしょう。
2月の「みことば」について考えてみましょう。
「人が独りでいるのは良くない。彼にあう助けるものを創ろう。」
2月のみことばは、3年生の宗教の時間で学んでいる『いのちのまなざし』のテキストの中にあります。人間は、自分独りの力だけでは成長することも、秘められた可能性を豊かに開花させることもできません。そのことを「人は独りでいるのはよくない」ということばで表現しています。
聖書は人間が神に依存するものであることを明確にしながら、生きていくため、人生を豊かにするために、他の人間との出会いが必要であるということを明らかにしています。
私たちはだれしも幸福を求めています。しかし幸福とはいったいなんでしょうか。私たちは幸福というとき、まず衣食住にめぐまれ、健康で、さまざまな危険から守られている安全な状態、つまり、健康で快適で安全な生活を考えます。これは、いいかえれば、身体的な面において十分満たされている状態だといえましょう。しかし、幸福とはこのような満足につきるのでしょうか。
「人はパンだけで生きるものではない」「人間にとって大切なことは、ただ生きることではなく、善くいきることである」と聖書ではいわれます。考えてみてください。私たちは生まれたその瞬間から、わたしたちをあたたかく受けとってくれる両親を必要としています。食べるものをはじめ、生きていくためのすべてを与えられなければ、存在を続けることさえできないのです。それは成人した後ででも同じことです。他者の力を借りず、自分ひとりで生きていける、生きていると思っている人は傲慢であり、大変な錯覚の中にいるのです。
衣食住だけではありません。精神的な支えにおいても、私たちは、他の人々のあたたかな心を必要としています。人間の魂は愛という栄養を求めていると言い切ります。食べ物だけでは心は育たないということです。あたたかな好意にみち愛につつまれるのでなければ、私たち人間は生きていけないのです。
2月20日の新聞に「福岡おにぎりの会」のことが取り上げられていました。新型コロナ禍により苦しんでいらっしゃる方が増え、「家はあるが食事に困る方が増えそこには若年層、女性も増えている」と書かれていました。「必要とする人がいるのなら、自分ができることをする。ただそれだけです。思いを込めて おにぎりをにぎれば、届けられるのはおにぎりだけじゃない」とも書かれていました。
ある事務局員の方が覚えているだけでも10人以上の方が路地で亡くなられているといいます。この方は、週1、2回夜遅く自主的に路上の方を訪れ、別れ際に「おやすみ、またね」と声をかける。「一人じゃないよ、気にかけているよ」と何とやさしい声かけ、関わりを積極的にもつだけで独りよがりではなく、苦しんでおられる方も自分も豊かになれるのですよ。
十 キリストは「地の塩」「世の光」となることを望まれた。
ごく少量の塩でも、食物の味をかえます。
小さな光でも闇の中でも明るく輝き 周囲を照らします。
自分を少量の塩、小さな光に置き換えて自分の生き方を見つめてみましょう。
ごく少量の塩 小さな光を (量のことではなく思いやり、やさしさです)